<人はしあわせになるために生まれる>と言うけれど…

<人はしあわせになるために生まれる>
この言葉を聴いて、あなたはどう思いますか?
私は…ずっと納得できませんでした。
しあわせになれる人と、そうでない人がいると思っていたんです。
そして、自分自身のことをしあわせになれない人だと思っていました。
でも、そうではなかったと知りました。
「人はしあわせになるために生まれる」
この言葉は本当でした。
”しあわせ”の定義

私のように
しあわせになれる人と、そうでない人がいる
そう思っている方がいたら…
そもそものしあわせの定義を見直してみるといいかもしれません。
もしかしたら、しあわせはなにかを得たり、なにかを所有することで得られるものだと信じているかもしれません。
しあわせとは感じるもの。
外からもたらされるものではなく、自分の内側でつくり出すもの。
なにかを獲得したり、所有することで得られるものではないのです。
ひとりひとりがつくり出すものなので、どんな時に、どんな風にしあわせをつくり出して感じることができるのかは人によってまったく違います。
たとえば
ある人は朝起きて、朝日を浴びて、今日を迎えられたことにしあわせを感じる。
でも、別のある人は同じ状況に身を置いてもなにも感じません。
またある人は、ご飯を食べられることに「ありがたい」と感じてとってもしあわせな気持ちになる。
でも、別のある人はご飯を食べても何も感じません。
どんな時にしあわせを感じるのか?
そこに正解があるわけではなく、良し悪しがあるわけでもありません。
確かなことは、しあわせを感じるかどうかはすべてその人次第だということです。
いつ、どんな時にしあわせを感じられるのかは人それぞれ違う…
こうして改めて考えてみると、そもそも私たちの日々の行動のひとつひとつも、各々の人が、その人なりに自分をしあわせにするために選択して行っていること、と言えるかもしれません。
しあわせになるための選択

たとえば仕事。
仕事が好きで毎日楽しく働いている人は、仕事に行ってしあわせを感じることができます。
そうではなく、いやいや仕事に行くという人も、仕事をすることによってお金を得て、安定した暮らしをすることがしあわせだからと仕事に行く選択をしている、ということです。
もうイヤだ!と仕事を辞めることにした人は、仕事を離れることでしあわせを感じるためにその選択をしたということです。
人との関わり方もそうでしょう。
たとえば、誰かに対して怒りをぶつける人は、自分の中に生まれた怒りを発散して楽になる、というしあわせを感じるために人に対して感情をぶつけるという選択をしています。
誰かの悪口を言う人は、悪口を言うことで感じているモヤモヤやイライラをスッキリさせて、気持ちを楽にするために、しあわせを感じるという目的があるから言うのです。
さらに極端な例で言えば、食べるものを買うお金もなくてお金を盗む人は、自分を生存させるというしあわせを手にいれるためにお金を盗むという犯罪を犯すことを選択した、ということです。
すべて、その人その人が自分をよりいい気分にするため、自分なりのしあわせを感じるために行動を選んでいるのです。
「しあわせを感じるために行動しているんだから、どんなことをしてもいいんです!」と言いたいわけではありません。
他の人がしあわせを感じるために選択した行動をすべて許しましょう、と言いたいわけでもありません。
言いたいことは、すべての人が行動を選択するとき、その裏には見えない目的があるということ。
その見えない目的とは『しあわせになること』なんだということ。
ひとりひとりの人が、自分をしあわせにするためにいろいろな方法を使っているということ。
このことを他の誰のためではなく、自分のために知っておいてほしいのです。
このことを知っておくとあなた自身がもっとしあわせを感じられるようになります。
なぜなら、すべての人の行動がその人自身がしあわせを感じるためにしていることだとわかっていれば、もう誰かのやることなすことに一喜一憂する必要がなくなるからです。
たとえ誰かに怒りをぶつけられても、陰口を言われても、それはその行動を取った本人がしあわせを感じるためにしたことです。
つまり、あなたが自分を責めたり、自分を疑ったりする必要はない、とわかります。
怒りをぶつけること、陰口を言うことがその人のしあわせを感じる手段なんだ、と知っていれば、怒りや陰口に振り回されることがなくなるのです。
これで、もう誰もあなたの内側でつくり出されるしあわせを奪うことはできません。
さらに、自分がしている行動に対する見方も変わります。
全ての行動が自分をしあわせにするためにしていることだとわかったら、自分をやさしい目で見ることができるようになるでしょう。
過去に取った行動や選択の中に後悔していることはありますか?
もしあるとしたら、もう一度振り返って、違う視点で見てみてください。
結果として、後悔することになったのだとしても、それらの行動や選択はその時の自分をしあわせにするためにしたことだったのです。
その時のあなたにとってメリットがあると感じたから、しあわせを感じられると思ったからこそ、その行動や選択をしたはずです。
今振り返ると、得られたメリットがとても小さなものに見えたとしても、あの時のあなたにとっては必要なメリットだったのです。
過去のあなたが、自分自身をしあわせにするために、精一杯の、最善の選択をしたのです。
あの時の自分、そして自分の選択を認めてあげてください。
人はしあわせになるために生きている

<人はしあわせになるために生まれる>
この言葉は本当でした。
実は人はみんな、<しあわせになるために>と意識することもなく、いつもしあわせになるために行動していたのです。
このことを知ったうえで行動できたら、これまでと同じ日常の中にいても、もっと多くのしあわせを感じられるはずです。
なぜなら、あなたはすでになにか行動や選択をするたびに必ずしあわせを得ている、と知っているからです。
あとは、その時その時、どんなしあわせを得ようとしているのか?を見つければいいだけです。
しあわせは、自分の内側でつくり出して感じるものです。
あなた次第でいつでもどこでも、どんな場面でもつくり出して、感じることができます。
せっかく生まれたのだから、より多くのしあわせを感じて過ごせたら素敵ですよね。
もしもあなたもそう思うなら、自分の内側でしあわせをつくり出す練習を積み重ねていきましょう。
それから、せっかくなら”真のしあわせ”を感じていきたい、そう思いませんか?
おわかりの通り、人に怒りをぶつけたり、悪口を言うことで感じるしあわせは真のしあわせではありません。
なにかの行動を起こすとき、その行動によって得ようとしているしあわせが真のしあわせでないことがわかれば…行動する前に気づければ…
違う行動を選択することができます。
あなたが得たいと望む真のしあわせを得るための行動を選び直すことができます。
この”真のしあわせ”がなんなのか?は人によって違います。
これから先、真のしあわせを得るための行動を選択していくためには、まずは真のしあわせがなにかを知る必要があります。
あなたにとっての真のしあわせは、あなたの潜在意識の中に隠されています。
見つけられるのはあなたしかいません。
あなただけの真のしあわせを見つけて、感じるための行動を積み重ねていきましょう。
そして
<人はしあわせになるために生まれる>
この言葉を人生の中で体感していきましょう。