以前の記事で、対人恐怖を感じていたころの話を書きました。
人が怖いと感じるが故に、私が日常的に行ってきた(というか、ある意味やらざるを得なくてもうくせになっていた)人間観察。
私の人生という名のゲームの中で登場した、(いろいろな意味で)『面白い登場人物たち』について勝手に振り返り、考察していきます。
今回は海外で遭遇したおじさんのおはなし。
あれはひとり海外へ旅立ち、目的地に到着した日の夕方のことでした。
乗り継ぎ10時間以上のフライトを終えて、重量ギリギリ激重のスーツケースを引きずって空港から町まで行けるバスに乗り、やっとホテルに着いて荷物を置いて一息。
まだ外が明るかったので夕食を買いに出かけてみよう!とワクワクしながら外に出たときでした。

まだその街のどこになにがあるのか?全然わからない…
でも、目の前に電車の駅があったので、ちょっと乗ってみるか~と思い、ホテルのフロントでもらった町のマップと電車の路線図を手に電車に乗りました。
数駅行ったところでいくつかお店が見えたので降りてみることに。
何のお店かもわからないまま、とりあえずお店に向かって歩いて行こうとしたときでした。
<電車の駅の反対のホームに人がいる>
敏感な私のヒトセンサーが反応しました。
そこで反射的にそっちを見てしまったのがマズかった…
反対側のホームにいたのは…
ひげがもじゃもじゃで、もしかするとホームレス?
もしくは工事現場で働いている人?
そんな出で立ちの、一瞬見ただけでも汚れているとわかる服を着たおじさんがいました。
私に気づいたおじさんが大声で叫び始めたのです。
”Fxxxing Asian! Go back home!!”
手を振り上げながら、私が歩く方向に付いてきます。
向かい側のホームなので、すぐにこっちに来ることができないのはラッキーでした。
<ヤバイ>
おじさんの方は見ないようにしながら、この後どっちにどう動こうかを考えるのに必死だったので、このとき周りに人がいたかどうかは覚えていません。
おじさんは叫びつづけていて、なに言ってるか全部はわからないけど、とにかく国に帰れと繰り返し、Fワードを連発していました。

「どうしよう…」
焦りながら下を向いて歩いていた時。
ちょうど次の電車がホームに入って来ました。
どこ行きの電車なのかも確認せず、とりあえず飛び乗りました。
おじさんに背を向けるようにして座ったので、その後おじさんがどうしたのかは知りません。
私の場合、なぜだか海外に行くとあまり人が怖いと思うことがなくなります。
これは私がもっているただの思い込みのひとつなのかもしれませんが、海外の人の方が、周りの人を気にしていない気がするんです。
そう思うから、海外にいる方がのびのびしていられるというか、自由に振る舞える感じがします。
それに加えて、ワクワクする気持ち、高揚感、冒険心が出て来て、人を気にするヒマがないのもあるかもしれません笑
でも、あの時はさすがに怖いと思いました。
ヤバイと思いました。
「こっちのホームに移動してきたらどうしよう」とか、「銃を持ってたりするんだろうか?」とか考えたりして。
それと同時にその後の動きを考える。
あぁいう時の脳のグルグルグルーーーという回転力って、すごい。
あれが火事場のバカ力なんでしょうか。

それにしても…
あのおじさんはどうしてあそこまでアジア人がキライなんだろう?
なにかされたのだろうか?
なにか嫌な思い出でもあるんだろうか?
あの日、あの時は周りに私しかいなかったけど、町には移民がたくさんいました。
もちろん、アジア人もたくさん。
毎日外に出たら、町中に溢れるたくさんのアジア人を目にせざるをえないはず。
おじさんにとっては大キライな存在、排除したい存在が町中に溢れている状態ということになる。
そんな中で生きるのって、ツラくないだろうか?
見る人見る人全員に怒っていたら、エネルギーが足りなくなるだろうし、そもそもそんなこと無理なほどたくさんいるし。
アジア人を見るたびに怒りやネガティブにまみれていたら、自分自身が病気になってしまうでしょうに。
もしかしたら、なにかの薬物のせいだったのかもしれない。
それとも、私がたまたまおじさんにとって目障りで、ターゲットにされただけだったのだろうか…?
だとしたら、それはそれでターゲットを決める時の目安を教えてほしいかも。
次回海外に行くときの参考に笑
なにかや誰かをキライになったり、憤りを感じたりするようになるまでには、なんらかのきっかけがあるはず。
なんの理由もなく、あんなに強い怒りの感情を持つことはないだろうから。
でも、おじさんがどんなに叫んでも、私が日本に帰ることはない。
他のアジア人もそう。
どんなに叫んでも、怒りをぶつけても、おじさんの行動きっかけで「じゃあ、私帰るわ」となる人はいないでしょ。笑
つまり、大声も怒りも、アジア人を嫌うネガティブな感情を身体の内側にいつも持っていることも、おじさんにとっての利益もメリットもなにもないってこと。
反対に、きっとおじさんの身体を少しずつ蝕んでいるはず。
自分でコントロールできないことに負のエネルギーを注ぎ続ける。
それってすごくもったいない。
もし、その状態を楽しんでいるんだったら話は別だけど。

残念ながら…どんなに頑張って叫んでも、永遠におじさんの願いは叶うことはない。
いつかそのことに気づく日はくるんだろうか?
もしかしたら、この地球を去る日まで気づかないのかもしれない。
いまもあのおじさんはあの町にいるんだろうか?
いまもアジア人が大大大キライなままなんだろうか?
あの日、あの時私が遭遇したおじさんは、どうして私の人生ゲームの中に登場したんだろう?笑
もしかしたら…
どんな理由があろうとも、<誰かやなにかを憎んでも、しあわせになれないよ>って教えてくれたのかもしれない。